20年も昔の話である。「お父さん大事件!」家内が息を切らしてやってきた。もしかして、子供が交通事故に遭ったか、それとも体育の時間に大ケガでもしたのかとドキドキしながら次の言葉を待った。
「あのネ、大変なのよ。玄関の水槽で飼っていた鯉がいたでしょう。朝、はるちゃん(四女の名前)が『何かいつもと様子が違うよ』と言ったのは本当だったんだわ。だってあの子が一番面倒をみていたんだからよく分かっていたのね」
急いで玄関に行ってみると、コイがお腹を上に口をパクパクしている。それでも尾びれを動かしながら、何とか動こうとしている。よく見ると、目が白く濁ったようになっていて、いかにも死が直前に迫っているようにみえる。誰の目から見ても、もう先が長くないのは間違いない。
このコイの名前は「ウメ子」という。四女が名付け親である。数年前の夏祭り、家族で金魚すくいをした。その時、数匹をすくい、ビニール袋に入れ持って帰った中の一匹なのだ。
毎年夏祭りの時に、家族連れで金魚すくいをする。いつも持ち帰り、大切に金魚鉢に入れ飼うのだが、数週間すると必ずみんな死んでしまう。毎年そうなるから、今回はやめようという事になっていたのだが、子供がどうしてもせがむものだから、ついその声に負けて一回だけということになったのである。
金魚鉢に入れてやはり数日後次々に金魚は死んでいったが、このウメ子だけは元気よく泳いでいた。毎日エサを上げていると「ウメ子」はどんどん大きくなった。そのうちに金魚鉢では入りきれなくなり、大きな水槽に入れ替えることにした。
入れ替えた後も、どんどん大きくなり、こりゃおかしいと魚に詳しい人に尋ねてみたら金魚ではなくコイということが判明した。
ウメ子は少し神経質で、廊下を歩くその音でびっくりして水槽の中でバシャバシャと暴れる。ある時は勢いが良すぎて水槽から飛び出し、玄関でバタバタしていた時もあった。
そんなウメ子であったが、数日前からおかしかったらしい。それに気づいていたのは子供だけで、私は知る由もなかった。
さて口をパクパクしてお腹を上に向けているウメ子をどうするか。そのままにして死を待つか。水槽から引き揚げて安楽死させるか、家族で議論したが、そのまま水の中で様子を見ることになった。
次の日水槽を眺めてみると、昨日より動きはのろくなり、もう死は直前に迫っているみたいだ。
次の日ウメ子は遂に帰らぬ魚となった。家族として付き合って3年。大往生であった。たかがペットの金魚と言われるかもしれないが、ウメ子の居ない水槽を見ていると、何かとても淋しい気持ちになる。水槽の中からうちの家族の一日を見守ってくれていたような気がしたからだ。
そう、水槽のガラスの向こうから子どもが学校に行く様子。夫婦ゲンカ。お産でバタバタ分娩室に駆け出して玄関から出て行く私などを無言で見続けていたのだろう。時々は口出しをしたかったかもしれない。そのように家族を見守っていた家族の一員が居なくなったのだ。しばらく出掛ける際、ついいつもの癖で水槽を眺めていた。しかしそこにもうウメ子はいないのだ。
今、又玄関に、一匹の金魚が泳いでいる。これは孫がお祭りの時金魚すくいの店ですくってきた金魚だ。孫がいつも餌をあげているせいか元気よく泳ぎ回っている。生物を飼うというのは子どもにとって生きるということを教える良い教材になる。是非とも子どもが小さい時に小動物を子どもに与え世話をさせて欲しいと思う。