「先生は何故産婦人科医になろうと思われたのですか?」患者さんからよく聞かれる質問である。
医学部を卒業する1~2年前から将来何科を選択するかをそろそろ決めなくてはならない。大きく分けて臨床と研究に分かれる。将来臨床医向きなのか研究者向きかはその人の性格によるものが大きい。大抵は臨床の方を選ぶ。
どちらを選んでも、数年は大学で臨床以外の研究が待っている。マウスやラットなどを使って色々実験をする。それは臨床とは全くかけ離れているものであるが、殆どの卒業生が経験することなのだ。そして10年位して卒論を書いて医学博士という肩書がつく。名刺を作る時は名前の前に医学博士という文字をつけることが出来るのである。一昔前まではそれは当たり前で、大学の医局に10年位居て将来どうするのか決める。だから30代半ばに自分の進路が決まるのである。
学生時代は精神科医になってみたかった。しかし実習に行って自分には向いていないというのが分かった。というのも精神科医という仕事は正常と異常を区別できないと成り立たない科である。ということは自分が誰が見ても正常であるということが必須条件だ。それに自信がなかった。
例えば学生時代部活もせず、休みとなると1人で旅に出た。1ヵ月間北海道をテント担いでバイクで回ったりしていたのである。同級生には変わった奴、つまり変人と思われていたのである。だから私自身が果たして正常なのか自信がなかった。
そうこうしている間に、卒業まであと2、3ヵ月ということになった。そこでとりあえず産婦人科を選択しようと思った。
その理由が、父が産婦人科医、兄も産婦人科医、義兄も産婦人科医、叔父も産婦人科、いとこも産婦人科医で回りが産婦人科医だらけだったので、とりあえず産婦人科医になってそれから次を考えようと思っていた。
それはまるで居酒屋に行き注文する時「とりあえずビール」というのと感覚的に変わらず「何故産婦人科医になられたんですか?」と尋ねられても「とりあえず産婦人科医になってそれから又先を考えれば良いと思いまして…」と答えたらきっと相手が「将来の事をとりあえず決めたのですか?」と呆れてしまうのではないかとずっと思っていた。それが一つのトラウマになってしまっていたのである。そんな時ある雑誌にある産婦人科医がその問に答えていた記事があった。
『産科に限らず、医師の仕事は決してかっこ良いモノではなく、泥臭いこと、割に合わないことも沢山あります。なのにどうしてこの仕事を続けていられるのか?やっぱり好きなのです、産科が。やりたいのです、産科が。何となく医学部へ進学してしまい、医師になることに迷いを感じていました。医師として「何がしたいのか?」と悩んだ末辿り着いたのが、最もシンプルに「救命」という結論でした。何も手を出さなければ死んでしまうようなお母さん、赤ちゃんを、一人でも多く助けたいのです。そして無事に退院していくお母さんたちに、「おめでとう、また来てね」と言って病院から送りだして差し上げたい。それをやりがいにして、最も割に合わないと言われる産科医を続けていこうと思います。』
確かにそうだ。自分の未来というのは若い時には中々決め兼ねるものである。悩みながら日々が過ぎていき、ようやく自分のやりたい事が見つかる。
私の場合、35歳まではあまりどんな将来が待っているのか分からなかった。何となく行き詰まりを感じていたのである。ただ毎日患者さんを診て診断し治療する。それだけの毎日が続いていた。ある日ふと開業して自分のやりたい事をやるのが一番良いのではないかという結論に至った。それが35歳の時だ。
回りは誰もそれに賛成しなかった。10年近く県病院にいて、公務員としての生活も安定していたからである。辞めなければあと25年務めて、その後は隠居生活が送れるよと回りの人達は私に言った。しかし何か自分の体の中にマグマがフツフツと噴き出すようなエネルギーを感じ、35歳の時に開業したのだ。
それから35年の時が経った。開業当時患者さんが来てくれるのだろうか?卒業して10年で果たして技術的にやっていけるだろうか?従業員は集まるのか?開業場所、その費用は…と悩みは尽きなかった。しかし思い切って開業した。
開業して大変だったことも多かった。あまりにも忙しすぎて自分が何をやっているのか分からない。24時間365日仕事から離れられない不自由さ、色々あった。
しかし今一番仕事が楽しいと感じている。それは何故か自分にも分からない。とにかく楽しいのだ。この楽しさがいつまでも続くように頑張ろうと思う。