学生の時はよく無銭旅行をした。リュックサック一つを背負い、あてもなく旅に出る。交通手段は殆どヒッチハイクで、道路で手を上げ車に乗せてもらう。最初は勇気がいったが、要領が分かってくると、殆どヒッチで移動する。

 ヒッチのコツは国道や県道のような広い道路を避ける。なるべく車の通行があまりない道路で手を上げる。乗用車よりトラックやバンの方が乗せてくれる確率は高い。どうしても止まらない時は、車が来たら道路の真ん中に立つ。そうすると必ず来る車は止まり乗せてくれる。そして降りた所で野宿の準備をする。テントなどは持参しないので海の家ではムシロにくるまって寝た事もある。ダニがムシロに沢山ついていて、次の日全身真っ赤になったりして、体をボリボリかきながら旅を続けた。街の中では段ボールの箱を2、3個見つけてその底を破り、筒状にしてそのなかに泊まる。まるでホームレスの人達の家と同じような恰好である。

 ある駅前のバス停で泊まっていた時は、段ボールもなにもない。夏とはいえやはり夜は多少冷え込む。そこで駅に捨ててあった新聞紙を拾ってきて、それを1枚ずつ剥がし、ミイラみたいに体に巻きつけて寝た。たった新聞紙1枚でも全く寒さが違う。本当に薄い紙なのであるが、結構夜露くらいはしのげる。その姿を見た人は、ミイラがバス停で寝ているとびっくりするかもしれない。しかも安上がりで最も簡単な方法なので、野宿の時は新聞紙の世話に随分なった。

 新聞紙に包まって寝ながら考えた。世の中にはこんな風に捨てるようなものでも、あれば便利な物って結構あるのではないか。ほんのちょっとのアイデアや優しさで、幸せにも不幸せにもなることって多いのではないかと…。

 先日ある記事を見て、野宿の新聞紙のことをふっと思い出していた。それは次のようなニュースである。

 ある大学病院で、夕食の給食時間が早いと患者からクレームがついた。何回も会議が開かれ、何とかもっと遅い時間に夕食をと提案された。それで今まで4時半に出していたのを5時にすることにした。そこでもまだ早いと患者からはクレームがある。しかし給食の職員も5時半に下膳して、後片付けをしたらもう7時を過ぎてしまう。それから帰り支度をして帰り着くのが8時ごろ。

 患者さんにとっては遅ければ遅いほど良いのだが、組合としても自分の生活というものがある。結局病院と職員組合の話し合いは物別れに終わってしまった。

 しかし、組合員の人達も何かと患者のためには常日頃から一肌脱ぎたいと思っている。そこである人が「こうしたら如何でしょう」というアイデアを出した。それは給食は今まで通りの時間にするが、おにぎりをラップに包んで夕食と一緒に出したら良いのではないかという意見である。一人一人おにぎりを握る手間は確かに大変だが、それくらいは何かと努力してみようという組合員の心意気だ。

 それをやり始めてからは夕食が早いというクレームはなくなった。何と言ってもお腹が空いたら、いつでもおにぎりを頬張れるという安心感が患者を納得させたのだ。

 たった一枚の捨てられた新聞紙が、たった一個のラップで包まれたおにぎりが人間を幸せにする。我々はいつもちょっとした工夫をすることで幸せになったり不幸せになったりする。しかし中々それに気づかず、幸せが簡単に掌から逃げていく。そして只それを眺めているだけで、嘆いていることがあまりにも多すぎる。だから回りにそういう事がないか見回してみることも必要だ。