毎年8月になると綾にブドウ狩りに出かける。それはもう30年近くも前からの習慣である。行き先は『杉山農園』。
ここのオーナーの経歴は変わっている。綾に引っ越すまでは、千葉の習志野の方に住んでいて、コンピューター関連の会社にいたというちょっと変わった経歴の人だ。
彼のブドウ園に初めて訪れた時彼は言った。「都会で仕事に追われ、何の為に生きているのか分からなくなり、ブラブラと日本中を旅していたらたまたまここに来たのです。ここなら生きるのには最適と考え、年齢も50近くだったのですがここに住もうと決心したのです。しかし仕事が無ければ生きる事も出来ない。そこで色々相談した末、ブドウ栽培をやろうと思った訳です。しかし、何せ全くそういう経験がないので、0からのスタートでした。しかし綾の人は親切な人ばかりでした。1から1つ1つ教えてくれました。何せ農業なんて全くやったこともない訳ですから…。ある日ふと気が付いたのです。ブドウ栽培にコンピューターを組み合せたらどうだろう。コンピューターだったら私の専門ですからね。色々データを調べ、ビニールハウス内の温度管理などプログラミングして一定の気象条件になるようにインプットしたのです。そうすると素人でもブドウが作れるという事が分かりました。それからは少しずつ作付面積も広げました。勿論、自然相手のことですから、台風が来たらもう惨めなものです。どんなにたわわに実っていても、強風にあっという間にビニールハウスごと吹っ飛ばされますからね」。
それに相槌を打ちながら私も口を開いた。「そうですよね。農業というのはバクチみたいなものですもんね。実は私の家内の実家は、秋田の湯沢という所でリンゴ園をやっていました。義父と義弟でやっていたのですが、4月位から色々準備が始まります。秋になりそろそろ収穫かという時になると意地悪なことに台風が来るのですね。台風が来るとリンゴの木は折れる、リンゴは全部落ちてしまって一銭にもならない。それはそれは悲惨でした。だから冬の間は4ヵ月位義父と義弟で東京に出稼ぎしなくては暮らしていけない。そんな貧しい生活をしていたと言っていました。住んでいる家も、天井の隙間から雪が入り込んできたこともよくあったと言っていました」。
その杉山農園も今年で最後という。オーナーは昭和13年生まれでそろそろ80に近くなる。体力的限界ということらしい。
「今からどうされるのですか?」と尋ねると、「好きな事をして暮らす」という。「例えばどういうことを…」。「ブリッジです」。「ブリッジ?それは何ですか?」「トランプゲームですよ。都会では雀荘みたいにトランプ専門の店が何軒かあります。トランプではポーカーが有名ですが、その次位にこのブリッジは人気があります。宮崎にはトランプをする店はないのですが、福岡に行けばあります」。
へぇーそうなのか。ブドウ作りも楽しそうだったが、きっとブリッジも楽しみながらこの先隠居生活を楽しむことだろう。
ブドウを一箱買った。帰って冷蔵庫で冷やして食べたら、とても美味しかった。もうこれで最後と思いながら食べるブドウは、甘くもあり、ほろ苦くもあった。杉山農園さようなら。これからは隠居生活を大いに楽しんで下さい。