先日、ホテルのエレベーターの前で、今から結婚式に向かう新婚さんと擦れ違った。とても艶やかで幸せそうなカップルだった。その時ふと自分の結婚式の時のことを思い出した。

 周りからは反対された結婚だったので、結婚式は何か盛り上がらない結婚式だった。式が終わり何か暗い気持ちになった。そんな時、叔父が声をかけてきた。「二郎、良い娘貰ったなぁ」その一声だけが救いだった。でも本当にそう思って声をかけてくれたかどうかはその時は分からなかった。しかし結婚して43年経った今、それは本当だったと気付き始めている。

 まず5人の子どもを産んでくれたこと。お産というのは実に大変なもの。今まで経験したことのないような痛みを経験してようやく母親になれるのだ。痛くて大変だっただろうが、産んだ後全くそんな素振りを見せなかった。

 上の子3人は年子だった。私は殆ど「仕事と付き合いで家に帰れず、子育ては家内の仕事だった。それから又2人産まれ、5人の子育ては全て家内の役割だった。

 結婚して3年後、私の実家宮崎に戻り母と一緒に暮らした。姑の対立も無く、家内は母をいつも尊敬していた。その後母も亡くなり、一人暮らしをしていた家内の母を秋田から呼び寄せることになった。暫くは一緒に生活していた義母も、段々体が不自由になり、老人施設に預けることになった。家内は忙しい合間をぬって義母を見舞い話し相手になっていた。それを15年程続けて義母は眠るように亡くなった。実の娘に見守られながら一生を終え、きっと幸せだったに違いない。

 5人の子ども達はそれぞれ結婚をして、今度は孫の世話に追われる毎日になった。孫は可愛いいものだが手がかかる。殆ど自分の事は後回しにして孫の世話で一日が終わる。

 一方家の中では、私が汗かきなので朝夕洗濯をして、いつも清潔なものが着られるようにしてくれている。先日家内が北海道の娘の所に遊びに行った時、暫く一人の生活をしていたが、つくづく洗濯は大変なものだと思った。毎日当たり前だと思っていたことがそうではなかったことに気付いた。ゴミ出しも私が手伝おうとすると、「私がするからいいわ」とさせてもらえない。

 そう考えると、叔父が言った「二郎は良い嫁を貰ったな」という一言は実にその通りで、叔父の人を見る目というのは鋭かったのだと思う。これからもきっと頭が上がらないと思う。しかし本当は大仏の掌で自由奔放に生きている孫悟空のように扱われているのかもしれない。それでも今が幸せなら良しとしよう。

 因みに高校の親友4人のうち、一番に結婚したのは私で26歳だった。結婚前から「あんたたちは直ぐに離婚するよ。だってお前がチャランポランで飽きやすい性格だから、カミさんが愛想を尽かしてしまうな~」と言われ続けていた。その後に次々と彼らも結婚していった。

 しかし2番目に結婚した親友は新婚旅行から帰ってきたらもう離婚していた。いわゆる“成田離婚”だ。次の親友は仲がとても良かったのだが子どもに恵まれず、愛犬が亡くなった時に別れた。つまり“犬がかすがい”だったのだ。

 次の親友は中々結婚せずやきもきしたが、一回り以上若い20歳の彼女と結婚した。3人の子どもを儲け幸せそうに見えたが、年が全く違うので話題が合わず離婚した。

 私の方といえば、離婚の危機は一度もない。かといってベタベタと仲が良いという訳でもない。お互いに良い距離を保ちながら、お互いに生活をしているという関係なのだ。夫婦と言うのは他人同士だ。お互い気楽にいこうぜ!という気持ちで毎日を過ごしている。