先日鯉のぼり運動会があった。各々、我が子を応援する親達の声援は必死だ。ある一人の子どもが運動場を一所懸命走っている。身を乗りだして応援する両親の横に、それぞれの両親であるお爺ちゃん、お婆ちゃんの4人がいて、合わせて6人で応援している。
その姿はとても微笑ましい光景だ。全ての家族がこの運動会の為にスケジュールを空けて、この日の為に備えていたのだ。その時、ふと思った。この子どもはこのような家族に見守られスクスクと育っている。今は良いかもしれない、しかしあと30年もするとどうなっているだろうか。見守られる立場が今度は逆転する。
その時両親は定年退職する年齢になっていて、同時に退職金と年金だけが頼りだ。
お爺ちゃん、お婆ちゃん達は80~90歳になっているだろう。亡くなっているかもしれない。もし生きているとしても寝たきりになっているかもしれない。少なくとも日常生活にとても不便を感じる年齢になっているのは間違いない。
その時、幼稚園だった子どもはきっと中堅サラリーマンになっているだろう。幼稚園の運動会では6人に見守られていたのだが、今度は逆に6人を見守らなくてはならない立場になる。平均寿命が延びてきたのでその期間も長くなり、子どもは親の面倒をみるだけで一生が終わる。
1989年には65歳以上の老人の総人口に占める割合は12.1%だった。これが2025年には30%にもなると予想されている。つまり3人に1人は老人となり、若者2人で1人の老人の面倒を見なくてはならなくなる。そこには運動会に見られる光景とは逆の現象が見られるようになるのだ。
話しは変わるが、親は子より体が大きいのは当たり前だ。それは親は子を守る義務があるからである。ところが。南米には「あべこべ蛙」という一風変わったカエルがいる。普通のカエルは生まれたばかりのオタマジャクシよりも大きい。だがこの「あべこべ蛙」はオタマジャクシの時の体長は20cm以上もあるが、成長するにつれて、段々小さくなって、蛙になってしまうと約6cm、オタマジャクシの3分の1以下の大きさになる。
人間でも老人になると少しずつ身長も体重も減る傾向にあるが、それはたかが数%という単位だ。もし、この「あべこべ蛙」と同じように人間も「あべこべ人間」というものになるとすれば、もっと良い老後を迎えることが出来るのではないか。 しかし、小さな子どもが赤ちゃんサイズの老人を抱っこしている姿を想像しただけで何かおかしくもあり悲しくもある。