夜8時頃、妊娠26週の妊婦さんからお腹が痛いと電話があったので
「とりあえず来て下さい」と電話を切った。
それからしばらくしてインターホンの鳴る音がした。
陣痛があるかもしれないと分娩台でモニターをつけた。すると2~3分ごとの陣痛がある。
こりゃいけないと慌てて子宮収縮をおさえる点滴をしようと準備をしている時だった。
突然、破水、力む間もなく赤ちゃんが転げるように飛び出て来た。
大きさは片手に乗る位の大きさ、呼吸は全くしていない。
もちろん泣き声もあげない。心臓が肋骨から浮き出て動いているのが見える。
息はしていないが、心臓は動いているみたいだ。
だけどどう見ても生き残る可能性は低いと思った。
お母さんに「あまりにも小さすぎて、助けるのは難しいです。申し訳ない」と詫びた。
しかし何とか助ける方法はないか。すぐ医師会病院に電話した。
当直の先生が「とにかく連れて来て下さい」と言う。その言葉が神の言葉に聞こえた。
まず119番に電話し救急車の依頼をした。
連れて行く前にする事。それは体温を下げないようにする事だ。
まずラップをぐるぐる巻きにした。そしてその上にアルミホイルを巻いた。
さらにタオルでぐるぐる巻きにして私が抱っこし、酸素を流しながら医師会病院に急いだ。
約20分で着き、そのままNICU(新生児集中治療室)へ走った。
産婦人科病棟のスタッフが全員で準備していた。
医師会病院の先生は私のその姿を見るとビックリされていた。
その格好で連れて来たのですか!という目つきをしている。
てっきり保育器に入れて来ると思っていたらしい。
私がまるでラグビーのボールを抱えているような格好でダッシュしてNICUに走り込んで来たので、
ビックリされたのだろう。体重を計ったら、たったの840g。
ただちに気管の中に管を入れる、いわゆる挿管して呼吸をさせようとした。
するとそれまで真っ黒だった体が、だんだんピンク色に変わっていった。そして点滴。
これが又あまりに血管が細すぎて中々入らない。医師会病院のスタッフ達の懸命な治療を見て、
何とか助かる事が出来るかもしれないと希望を持ちながら病院を後にした。
毎日様子を見に行ったが、10日目位にお腹が異常に腫れてきているのに気が付いた。
どうも腸が未熟で穴があいてしまっているらしい。
このままではいけないという事で宮崎大学病院に搬送され、手術を受ける事になった。
その後5カ月間、宮崎大学病院のスタッフのすばらしい医療技術に助けられ退院した。
1歳の時、暑中見舞いが届いた。「こんなに元気にしてます」との写真付きだ。
その次のお正月、年賀状が届いた。「10歩位歩きますよ。おてんばです」と。
1歳7カ月の時、当院に連れて来られた。お目めパッチリの美人さんだ。
人見知りが激しく、私が抱っこしようとすると泣いて逃げ回る。
2歳の時の暑中見舞いは「ボール遊びをして元気に走り回ってます」。
今年の年賀状は着物を着て、おしゃまさんに写っていた。
先日連れて来られた。体重はまだ10㎏と標準より小さいが、
今度は人見知りもなく、私が抱っこしても泣かなかった。
帰られる時、一緒に写真を撮る事にした。「はい、ピース」とカメラに向かって私が声をかけると、
本人はピースではなく3本指を立てている。あれどうしてかな?と首をひねっていると、
お母さんが「今日、3歳になったんですよ。それでピースではなくて、3歳の意味で3本指を立てたんですよ…」と言う。
確かにそうだ。ピースだったらまだ2歳という事になる。
元気に育ってね『ここみ』ちゃん。そう願いながら見送った。