昨年までは1日がすごく長く感じていた。朝起きてまず30分のウォーキング。それから新聞を読み、コーヒーを飲みながら朝食そして仕事。午前中の仕事を終わり昼食。そして30分位昼寝。それから午後の仕事。仕事を終わると今日はどこへ出かけようかウキウキしていた。

 ところが今年は新型コロナが日本でも発生し、感染予防の為外出禁止。イベントも中止。自分の行動範囲がかなり狭められてしまった。鳥のカゴの中の鳥みたいに出たいのに出られないのだ。すると生活が一変した。

 今までは何の不自由なく行動できたのが、朝夕のウォーキングが電動チャリのサイクリングに変り、ウォーキングのついでに居酒屋に寄り一杯飲んで帰ったりカラオケを歌うのは禁止されてしまった。つまり自由が奪われてしまったということになる。

 そうするとまるで学校の授業みたいにまるでマス目的な時間の使い方になる。よくいえば規則正しく、悪く言えば自由な時間がなくなった。一日がまるで学校で過ごす一日になってしまった。するとあっという間に一日が過ぎていった。気付いたら夜の10時。あとは寝るだけという生活になったのだ。

 自分ではそれが原因だとはずっと気付かず、半年を過ごしてしまった。最初は年齢のせいかと思っていた。というのも「歳をとると一年が早い」と言われているからだ。確かにそれもあるだろう。

 先日宮崎市での新型コロナの発生が0になった日が続いたので、ちょっと夜の街に出た。まず焼き鳥が食べたかったのでその店に行くことにした。しかしどういう訳かその店の回りを30分もウロウロした。それはやはりまだこのコロナ禍では飲みに出てはいけないというプレッシャーがあったのだろう。店に入ったのを知人が見かけ「あいつはこんな時に焼き鳥屋に行っていたよ」と人に話をすると、それがすぐ噂で広がるからである。ましてやコロナに感染したら「そらみたことか!」と言われる恐ろしさがあった。そこで店の中に誰もお客さんが居ないのを確かめて中に入った。

 4~5人も入るとカウンターは一杯になってしまう狭い店である。宮崎では塩味の焼き鳥が多いのだが、ここはタレで焼いてくれる。私が学生時代過ごした東京では注文するとタレ焼きが普通に出てくるが、宮崎ではタレの焼き鳥は少ない。焼いてもらい出てきた焼き鳥は実に美味かった。今まで食べた中で一番美味しかったかもしれない。つい笑いがこぼれる。こんな気持ちになったのも初めてだ。

 その後もう一軒はしごをしたくなり、いつも通うバーに行った。ここのマスターとは30年近い付き合いで本当にバカ話が出来るのである。1時間近くバカ話をして帰宅についた。まだ夜9時である。しかし何かその日一日は長く感じた。

 次の日その理由が分かった。それは今まで不自由を強いられた生活をしていたのに、一瞬自由な時間を得られたからだ。たった一日だけのことであったが、その日を境に何か一日が長く感じる。それはやはり人間が不自由な生活をしている時は楽しくないということである。だから早く時間が過ぎてほしいと思うだろう。

 しかしちょっとその不自由さから解放された時、そのリズムがこれも楽しい時間に変わっていくに違いない。ほんのちょっとのことだが、生きていくという中ではそれは大切であることを70にして学んだ。