フェリー乗り場で切符を買おうとした時の話である。

切符売り場の小窓から「スミマセン」と声をかけた。小窓の向こうに一人の職員が壁に向かって何かしている。私の声が聞こえないのか、担当の男は小窓の向こうで、何やら壁に向かって盛んに表情を作っている。

 「スカした野郎だな」と思って見ていると、何と男は壁に向かってニコニコしているのである。「果たしてこの男はまともなのだろうか」「よほどフェミニストで自分の姿に酔っているのか」などと思いつつ、もう一度声を掛けた。今度は気付いてくれたようだ。振り向きざまに「お一人ですか」とニコニコしながら応じてくれた。

 こんな早くから何か良いことがあったのだろうか。宝クジが当たったとか、彼女へのプロポーズが上手くいったとか、ヒラから課長へポストが上がったとか「それならこのニコニコ顔も理解できるのだが…」と思いながらお金を払う時、ふとその机の前の壁を見た。

 その壁には鏡が掛けてあり、その下には「自動笑顔練習機」と書いてある。なるほど男は朝早く出勤してニコニコ、スマイルの練習をしていたのだ。それを知って私の心も和んだ気持ちになり、楽しい旅行をすることができた。自分がどんな顔をしているか、どんな表情をしているのかを教えてくれるのが鏡だ。鏡を上手く使うことによってもっと積極的に、より一層アクティブな人間になれる。このフェリー乗り場でそれを学んだ。そしておかげで楽しい旅を続けることが出来た。